店長日記

6814

本日のニュースより
慰安婦問題の拡大阻止 92〜93年、東南アで調査せず

旧日本軍の慰安婦問題が日韓間で政治問題になり始めた1992〜93年、日本政府が他国への拡大を防ぐため、韓国で実施した聞き取り調査を東南アジアでは回避していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者への取材で分かった。韓国以外でも調査を進めるという当時の公式見解と矛盾するものだ。
「河野談話」が出る直前の93年7月30日付の極秘公電によると、武藤嘉文外相(当時)は日本政府が韓国で実施した被害者からの聞き取り調査に関連し、フィリピン、インドネシア、マレーシアにある日本大使館に「関心を徒(いたずら)に煽(あお)る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」として、3カ国では実施しない方針を伝えていた。
(以上引用)

ま〜たアサヒか。
そもそも、(旧日本軍の慰安婦問題が日韓間で政治問題になり始めた)のは、売春婦を従軍慰安婦と言い換え、火の無いところに煙を立てて旧日本軍を貶めた朝日の捏造報道が発端ではなかったか。
今回は国連総会で韓国のバカ閣僚が謝罪要求してきたのに呼応するようなタイミングで報道している。
しかしインターネットの普及で朝日の反日性はあまねく知れ渡ってしまったので、国内ではまともに取り上げる人は少なかろう。周辺の反日国にタカリのネタを提供したことにはなるが…。

一日でも早く、朝日新聞社が潰れるのを願ってやみません。
パッチ縫い付け
マッコイズのA-2、サイズは希少な32。
通常サイズの刺繍パッチが大きく見えます。
フェローズ定番商品カタログ、唐突に入荷
「STANDARD」と銘打たれた立派なカタログが着荷。
はて?
…この時期に、継続生産している定番商品のみを纏めたカタログなど出した事があっただろうか?
しかも上質な紙を使っている。
不景気もなんのそのという感じで好調なフェローズの事、宣伝経費が余っているのかもしれない。
ということで平素当店でフェローズ製品をご愛顧いただいているお客様にお渡しいたします。ご入用の方はお早めにご来店ください。
パッチ縫い付け
奈良県のお客様から複数のご依頼をいただいており、そのうちの1点。
実物のG-1(7823)で、50年代のものと思われます。
大きめのVAH-6の刺繍パッチを右胸に取り付けました。
ベルトサイズ詰め
シュガーケーンのスタッズベルトを約4センチ(穴1,5個分)、バックル側でカットします。
スリムになったお客様は、現在一番奥の穴で留めて使用中。
剣先をカットして奥に穴をあけ足す単純な方法もありますが、スタッズが穴の近くまで打ち込まれているのでバックル側で詰めることにしました。
留めの部分が手縫いになっているので、元の穴を利用してバックル付けの寸法分内側に折り込んで始末しました。

画像1/ビフォー。

画像2/手縫い部分を解体。

画像3/革漉き機でバックルが収まる部分を薄くする。かなり厚みがあるので一回で漉ききれず、何度もおこなう。

画像4/漉き終わったらバックルが収まる穴をあけ直し、曲げた状態でしばらくクセ付け。折り返した先は必要分を残してカットする。

画像5/バックルを収め、シニューで手縫いして完成。
ネームプレート製作中
今回も大阪の方からご依頼いただきました。
A-2に縫い付けるネームプレートを2着分、幅を変えて製作します。
現在打刻が終わった状態で、水分が抜けるのを待って縫い付けを行います。

価格¥3000(縫い付け工賃はA-2の場合1500円)

*タテは通常18ミリで裁断していますが、広幅も可能です。価格は変わりません。
*ヨコは100〜120ミリです。
ミシンアディクト
もう20年近く前になるだろうか。
当店がビンテージのジーンズなどを扱っていた頃にスタッフのひとりだったA君。
今は結婚して二児の父となったが、この業界にとどまっており、個人で始めた縫製業を生業にしている。パターンメイキングから縫製、仕上げまで一人で行う昔のテーラーさんのようなスタイル。あえて非効率的なやりかたで、「製品」というより「作品」をつくるようなスタンスで取り組んでいる。
近々フランスで行われる合同展示会にも出展するそうで、渡仏の準備と作品づくりに没頭しているようだ。
大雨の中、数年ぶりに近況報告を兼ねて来店してくれた。おみやげに彼が製作したアーミーハットを持ってきてくれた。張りのある昔ながらのヒッコリー。このタイプはトレッキングの時に丁度良さそうなので、近いうちに使わせていただくとしよう。
A君の工房・ミシンアディクト、HPはこちら→http://www2.plala.or.jp/missin-addict/
パッチ製作・縫い付け
手描きのレザーパッチは完成し、バズリクソンズのN-3に縫い付けます。
これで一通りの作業は終了です。
ご依頼の際は大阪からご来店いただきましたが、仕上がったものは梱包してヤマトの宅急便でお送りします。
パッチ縫い付け
ロングツーリングに適した時期になって、各地でミーティングが行われているようです。
厚手の一枚革のベストに記念パッチの縫い付け依頼。
スコードロンパッチ鋭意製作中
ライトフィールドのパッチは本来円形で、その中に矢じりのようなデザインが入るのですが、お客様のアレンジでその矢じり部分をやや拡大したパッチを製作しています。

画像1/ヌメ革の下塗りが乾いたら全体を黄色で着色。

画像2/中央にブロック体で文字入れ。出隅が多い文字は、角を面相筆で追わなければならず、案外時間がかかります。

画像3/中央の文字を囲うように背景を茶色で着色。
パッチ縫い付け
今回のベースはマッコイズ製のB-15B。
店頭でストックのパッチの中からエアフォースマークとモスキートのパッチをお選びいただきました。
B-15Bはフロントファスナーが右身頃側にオフセットされているのが特徴です。

本日の修理品
先週お預かりしたオリゾンティ時代のドゥニームの名品、ダブルエックス。
千切れかかっていたボタンホールを修復し、股ぐりも補強しました。
続けて両膝の穴もリペアしますが、御要望により、リメイク風にミシン跡を残した仕上げとします。

画像1/ビフォー

画像2/アフター

画像3/右膝。二箇所の穴をカバーするためにタテ20センチ程裏張り。ステッチ糸は50番と30番を使い、色も3色使い分け。

画像4/左膝には横振りミシンも併用してパッチワークで仕上げ。
靴の曇りはココロの曇り
火曜日の三ケ根山登頂で埃と雑草のタネにビッシリ覆われたトレッキングブーツを丸洗い。
このダナーは比較的屋外での使用頻度が高いため、全体に傷だらけ。それだけに本来のアウトドアブーツとしての機能を充分に発揮してきた。
内側もきれいに洗い、この後日陰干し。乾いたらクリームを塗って、ほんの少量水分を含ませた布で光沢が戻るまで磨き上げ、次回の出番に備えるのだ。
ネームプレート製作・縫い付け
先週三重県からご来店いただいたお客様からのオファー。
英字と数字の組み合わせは任意で、ご希望通り単品製作致しました。

価格¥3000(縫い付け工賃はA-2の場合1500円)

*タテは通常18ミリで裁断していますが、広幅も可能です。価格は変わりません。
*ヨコは100〜120ミリです。
本日の修理品
かなり長くお使い頂いているファニーのライダースウォレット。
外回りのステッチが数カ所解れ出していますので、縫い直しです。ミシンはプーリーをゆっくりと手回しして元の穴に針を落としていきます。
仕上げに全体に保革油を塗ってやり、900シルバーのコインコンチョを磨いて修理完了です。

画像1/ビフォー

画像2/アフター

画像3/ビフォー

画像4/アフター

画像5/ビフォー

画像6/アフター
スコードロンパッチ鋭意製作中
N-3に取り付ける変形パッチをレザーで製作中。
このところいろいろな作業が集中しており、作業スペースとの兼ね合いで前後しながら進めております。
本日の修理品
実物のMA-1、1970年代の8279Eの階級章の付け直しです。
樹脂製の階級章が大雑把に付けられていますが、隅がほつれてきています。裏地も皺が寄った状態で縫われて固定されているので修正してやります。階級章は何度か付け直されたようで外回りに細かい間隔で穴があいています。切り取り線のようになっているので、ややピッチを拡げて縫い付けを行います。
初秋の三ヶ根山・殉国七士廟再訪(その弐)
毎回立ち寄る廟の案内人Iさんの休憩所は、残念ながらこの日臨時休業でお会い出来なかった。
いつも休憩所周辺を徘徊している猫たちもほとんど見かけない。
休憩所付近には三ケ根観音のお堂があり、さらに一段高くなったところには比島観音が設置されている。周辺には多数の石碑や地蔵がところせましと立ち並ぶが、南方戦線に関連したものが多い。

画像1/比島観音近くに大東亜戦争のモニュメントとして設置してあるプロペラの付いた三菱製の瑞星エンジン。14気筒、1080馬力。戦後になって遠州灘で底引網に引っかかって引き上げられた。当初はゼロ戦に搭載されたものとされていたが、その後で違う機種用だった事が判明したとの添え書きがある。

画像2/殉国七士廟はそれら石碑群から数百メートル離れたところに建立されている。入り口に設置された巨大な石柱。高さ5メートル以上はありそう。

画像3/戦勝国からA級戦犯とされ、断罪された方々の遺骨がここに納められた経緯を綴った石碑。

画像4/今回も無事参拝を終え、下山を始めると突然の通り雨に見舞われた。岩場がつるつるして足を取られるのが難儀であった。帰りの道中では群生する渋柿を発見。せっかくなので赤く熟したものを口に入れてみると、まったく渋くはなく、充分食べられるものであった。

画像5/同行のHさんによれば、黄色い渋柿も焼酎に漬けると甘みが出て食せるとのこと。ムカゴや野いちご、前回のヤマモモなど、年間通じて山の幸が豊富な三ケ根山であった。
初秋の三ヶ根山・殉国七士廟再訪(その壱)
10月とはいえ残暑厳しく、通り雨にもたたられた今回の登頂。
なにより行く手を阻んだのは、伸びきった雑草と、登山道全域に張り巡らされたクモの巣であった。トレッキングポールはもっぱらクモの巣をはたくのに使われ、山頂にたどり着いた時には全身クモの巣と雑草のタネまみれになっていた。

画像1/いつも利用するJR半田駅。いにしえの職人ワザで鉄と木材で組み上げられた明治時代の跨線橋。

画像2/JR三ケ根駅から登山口までは徒歩30分位。いつも途中のコンビニでお供え用の酒を購入して山道に向かう。

画像3/夏の間に伸びきった雑草で登山道が見えない程。全域がクモの巣だらけ。

画像4/途中には倒木がいくつもある。

画像5/中腹の地点で突然視界が開け、北側の山の稜線が見える地点がある。この時期でもセミが鳴いていた。

画像6/いつもより体力を消耗し、やっとの思いで頂上に到着。ロープウエイ跡地から見た東側(片原温泉側)の風景。

画像7/山頂から一望した渥美半島。かなりクリアに遠方まで見渡せる。
明日は三ケ根
恒例となった三ケ根山登頂&殉国七士廟参拝を急遽明日の火曜日に敢行する事になった。
暑さも和らいで、トレッキングには絶好の季節である。
そういえば反日が国是の泥棒国家が、ついに旭日旗にまで言いがかりを付け始めた。「日帝の象徴」としてかの国での旭日旗の掲揚を刑罰対象とする法案までが提出されたのだ。いつものキチガイぶりが一層進化している。
せっかく話題をつくってくれたので、旭日旗を調達して登頂しようかと思っていたが、なかなかちゃんとした木綿製のものが見つからず、今回は間に合わなかった。