『イスラム移民』飯山陽著 扶桑社新書
飯山氏の主張はこの欄でもご紹介した前著『イスラム教再考』同様、一貫している。
イスラム教徒は、その教義ゆえに異教徒と相容れることは絶対に無い。イスラム教徒は他国に移住した場合でも、その国の法律よりもイスラム法が優先する。イスラム法こそが至高であり、神の言葉であるからだ。
イスラム系移民を受け入れたヨーロッパの惨状を目の当たりにしながら、目先の労働力不足を補うため、安易な移民受け入れに舵を切った日本。飯山氏の、政府や産業界、御用学者への批判は手厳しい。
既に一定数に増えたイスラム教徒たちは、行政に対し、様々な要求を突きつけている。
イスラムに則ったハラール(食事)の要求は、学校給食だけではなく、刑務所でも同様。刑務所に収容された犯罪者には、豚肉を除いた食事が出されている。学生は美術や音楽の授業をボイコットし、金曜礼拝は授業より優先される。最近では土葬墓地の建設要求も話題になった。こうした「特別扱い」の要求は、イスラム教徒の数が増えれば増えるほど通りやすくなる。
イスラム法は徹頭徹尾男尊女卑で、特に異教徒の女性は犬以下、LGBTQなどは殺害対象である。心情的にも日本社会に馴染むわけがない。
この特定外来種みたいな連中に「寄り添い」、「お互いの文化を尊重しながら共生」していこうというのが、今の政府、産業界の方針である。
政治家や裕福な経営者は、イスラム教徒の集住地区に住むわけではないし、接点も無いから他人事と考えているのではないか。
一方で飯山あかり氏は、人種、民族、宗教による差別には断固反対の姿勢を貫いている。異教徒、異文化を安易に受け入れることの危険性を指摘しながらも、差別を厳しく戒める。所謂「排外主義者」の主張とは一線を引いているのだ。
これは日本保守党から国政選挙に出た飯山氏が、現在、百田、有本両氏と反目になり、対立している一因にもなっている。
飯山氏のロジカルな主張の破壊力はすさまじく、3月の衆院補選では小池百合子の国政返り咲きに歯止めをかけ、その代理で選挙に出た乙武某を叩き伏せた。
そして今、袂を分かった百田、有本両氏を追い詰めつつある。
戦うイスラム思想研究者、飯山あかり氏は正義の人だが、やはり清濁併せ呑むことも求められる政治家には不向きなのかもしれない。
それでも、論壇だけでの活躍ではもったいない人材だと思うのは、私だけではなかろう。