昭和スタアと殉国七士廟
先日、三ヶ根山の殉国七士廟に参ったときの事、廟の管理人Iさんの休憩所内には沢山の資料が展示されているが、大判の集合写真に目がとまった。
かなり古い写真で、遺族会の関係者と思しき方々とともに写っていたのは、あの昭和の大スター、鶴田浩二その人であった。
海軍出身の鶴田は、戦没者の慰霊や遺骨収集にことのほか熱心で、殉国七士廟にも忙しい合間を縫って毎年のように訪れていたそうだ。その際には自腹で1000人もの関係者を招待していたという。
伊達や酔狂で出来る事ではない。
当時は(今もだが)批判的に見る人も多かったであろう。
俳優として軍人を演じ、歌手としては軍歌も歌った昭和の大スターは、実生活でもそのイメージと重なる人生であったようだ。
Iさんのご好意で、リプリントした集合写真を戴いて帰ってきた。
画像2/在りし日の鶴田浩二。
画像3/歌手のアイ・ジョージや淡路恵子の姿もある。
この集合写真には関東の任侠の大親分(故人)も写っている。Iさんのお話では、この人も莫大な個人資産を提供して廟の維持管理を影で支えていたということだった。
かなり古い写真で、遺族会の関係者と思しき方々とともに写っていたのは、あの昭和の大スター、鶴田浩二その人であった。
海軍出身の鶴田は、戦没者の慰霊や遺骨収集にことのほか熱心で、殉国七士廟にも忙しい合間を縫って毎年のように訪れていたそうだ。その際には自腹で1000人もの関係者を招待していたという。
伊達や酔狂で出来る事ではない。
当時は(今もだが)批判的に見る人も多かったであろう。
俳優として軍人を演じ、歌手としては軍歌も歌った昭和の大スターは、実生活でもそのイメージと重なる人生であったようだ。
Iさんのご好意で、リプリントした集合写真を戴いて帰ってきた。
画像2/在りし日の鶴田浩二。
画像3/歌手のアイ・ジョージや淡路恵子の姿もある。
この集合写真には関東の任侠の大親分(故人)も写っている。Iさんのお話では、この人も莫大な個人資産を提供して廟の維持管理を影で支えていたということだった。