名著であるため、ご紹介

名著であるため、ご紹介
『満映とわたし』岸富美子×石井妙子著 文芸春秋

ベストセラーになった『女帝小池百合子』の著者、石井妙子さんが5年前に上梓した本。
岸富美子という女性は、旧満州の国策会社だった満州映画会社で編集者として働き、敗戦後も昭和28年まで同地にとどまることになった。この本は、 出版時には95歳と高齢だった岸の手記を元に、石井妙子が章ごとに解説を加えるというスタイルの共著である。
満映について書かれた本は多いが、思想的な背景の無い技術者である岸の視点はフラットで、当時の社会情勢が淡々と綴られる。
家庭の事情で、10代で徒弟制度の残る映画編集の世界に飛び込んだ岸富美子。やがて日活を経て海を渡り、設立されたばかりの満映に入社。直後に経営者として送り込まれたのは、大杉栄らアナーキストを虐殺した元憲兵隊の甘粕正彦だった。プロパガンダ映画の制作に辣腕を振るう甘粕の部下には、 驚くべきことに内地を所払いされた共産党幹部らもいた。甘粕にどんな意図があったのかはわからない。そして敗戦とともに甘粕は自決。東洋一の設備を誇った満映は、南下したソ連軍に接収される。その段階で、徒歩で朝鮮半島を経由して帰国を目指した日本人もいたが、臨月だった富美子は八路軍(中国共産党軍)と行動を共にすることを選ぶ。思想教育の嵐が吹き荒れる中、同胞の裏切りもあって家族共々悲惨な炭鉱労働に就かされる。何とか生き残り、映画技術者としての能力を買われ、 今度は中国のプロパガンダ映画に携わることとなるのだった。識字率の低い当時の中国では、映画は最も有効な洗脳手段だった。そして旧満映の技術者たちは、中国映画の草創期を担っていく。
なんと目まぐるしく、毀誉褒貶の激しい人生だろうか。
そして終戦後8年経って、やっと帰国が叶った富美子らに対し、日本の映画業界の対応は冷たいものだった。
時の権力に政治利用され、翻弄されながらも、実直に映像技術者として生きた女性の手記。