名著であるため、ご紹介

名著であるため、ご紹介
『モンテンルパの夜はふけて』中田整一著 NHK出版

「歌は3分間のドラマ」とは、この戦前から活躍した歌手、渡辺はま子の言葉。
幼いころから音楽に親しみ、武蔵野音大を経て幸運なプロデビューを飾った渡辺はま子。アカデミックな歌唱力と美貌で、「愛国の花」、「支那の夜」などのヒットを放ち、李香蘭こと山口淑子と人気を二分するまでになる。日中戦争が始まると当時の国策に沿って従軍歌手として大陸を回り、 兵士の慰問に努める。向こう見ずで正義感の強いはま子は、専ら前線の兵士に心を寄せ、高級将校の傲岸な態度に抗議して軍部に睨まれる事件も起こしている。終戦を天津で迎えると、優先的に引き上げ船に乗れる立場であったものの自ら残り、日本人抑留者の慰問を続けた。翌年帰国しても、歌手としての活動の傍ら、旧軍人への慰問を続けるはま子。巣鴨に囚われた戦犯への慰問をきっかけに、フィリピンに抑留されている戦犯の問題にかかわることとなる。戦犯として捕らえられた将兵はまともな裁判も受けられず、冤罪で処刑されるケースが続出していた。戦後7年経ったこの時期にも、ミンドロ島周辺には200人あまりの日本兵が投降せずに残っており、フィリピン人の日本軍人に対する怒りは相当なものだったのだ。いてもたってもいられなくなったはま子は、自費でフィリピン・モンテンルパへ慰問に向かうことになる。その前に抑留者が作詞作曲し、はま子が吹き込んだ「あゝモンテンルパの夜はふけて」は期せずして大ヒットとなったが、この頃国民的な番組だった紅白歌合戦の出場も放り出してのフィリピン行きであった。やがて関係者の尽力もあり、抑留者の釈放・帰国運動は大きな流れとなり、 キリノ大統領の特赦を勝ち取ることとなった。
心無い人々から売名との誹りを受けながらも信念を変えず、その後も硫黄島、サイパン、返還前の沖縄の慰霊活動に印税のほとんどをはたいた渡辺はま子。
明治女の気骨を示した偉大な歌手の一代記。

付記/渡辺はま子の生涯は以前ドラマ化され、薬師丸ひろ子がはま子を演じ、「あゝモンテンルパの夜はふけて」も歌っている。