殉国七士廟探訪計画

殉国七士廟探訪計画
今週の火曜日(11日)は久々の完オフだったので、民族派のお客様と誘い合わせて早朝から三ヶ根山を目指す計画であった。
愛用のダナーのブーツをメンテナンスし、装備も万全で士気は高かった。
ところが当日、なぜか西三河一帯にピンポイントで雨が降り続いたため断念せざるを得なかった。
…無念である。
予定ではJR線を乗り継いで三ケ根駅で下車、徒歩で二時間ほどかけて山頂に到達するはずであった。
愛知県西尾市にある三ケ根山は、その山上から三河湾を一望出来る景勝地として有名だ。地元ではドライビングコースとして知られ、夏場の夜はヤンキーにも親しまれている。
しかし、ここ三ケ根山には、大東亜戦争を指導し、戦後東京裁判によってA級戦犯として処刑された七士(東條英機、土肥原賢二、板垣征四郎 、木村 兵太郎、松井石根、武藤章、廣田 弘毅)を悼むための廟と墓碑が建立されていることは地元愛知県民にもあまり知られていない。
戦後、マッカーサー司令部は七氏の遺体も遺骨も家族に渡すつもりがなかったが、有志の人達によって遺骨が奪還され、熱海の興亜観音を経て昭和35年にこの地に安置される事になったのだ。勝者が敗者を裁き、日本を「侵略国家」と決めつけた欺瞞だらけの東京裁判によって刑場の露と消えた殉国者達。その廟の前に立ち、鎮魂の祈りを捧げるつもりであった。
今回は断念したが、予定を先延ばしして来月早々の休みにでもチャレンジしたい。