本日のニュースより
台日友好、令和でも 台湾元少年工2人、旧交温め 伊勢原
太平洋戦争中、神奈川県の座間、大和両市にあった旧日本海軍の航空機工場「高座海軍工廠(しょう)」で働いていた台湾人の元少年工2人が2日、伊勢原市内を訪れ、日本人の元同僚や友人らと旧交を温めた。1日に新元号「令和」が発表されたが、2人は「高齢となったが、令和の世も台日両国の友好のために尽くしたい」と語った。同工廠では1943(昭和18)年から、志願して選抜試験に合格した台湾人の少年工約8400人が戦闘機「雷電」の生産などに携わった。現在も「日本は第二の故郷」と懐かしみ、日本人の元同僚や遺族らと毎年交流を重ねている。
この日は、日本人の元工員や軍人を中心とする「高座日台の会」が開いた年次総会に出席するため、来日した。台中市から訪れた元少年工の何春樹さん(89)は「今年も元気に再会できてうれしい」と語り、同会の会長で女学生時代に工廠に勤務した佐野た香さん(91)は「お互いに高齢になって参加できない人も増えている。体が続く限り交流を深めていきたい」と笑顔を見せた。
(以上引用)
これこそがマトモな国際交流というもの。
70年以上経ても信義を忘れない人達がいる。
台湾同様日本と合邦であった朝鮮半島の徴用工はカネをせびってくるのだから、民族性の違いが際立つ。
太平洋戦争中、神奈川県の座間、大和両市にあった旧日本海軍の航空機工場「高座海軍工廠(しょう)」で働いていた台湾人の元少年工2人が2日、伊勢原市内を訪れ、日本人の元同僚や友人らと旧交を温めた。1日に新元号「令和」が発表されたが、2人は「高齢となったが、令和の世も台日両国の友好のために尽くしたい」と語った。同工廠では1943(昭和18)年から、志願して選抜試験に合格した台湾人の少年工約8400人が戦闘機「雷電」の生産などに携わった。現在も「日本は第二の故郷」と懐かしみ、日本人の元同僚や遺族らと毎年交流を重ねている。
この日は、日本人の元工員や軍人を中心とする「高座日台の会」が開いた年次総会に出席するため、来日した。台中市から訪れた元少年工の何春樹さん(89)は「今年も元気に再会できてうれしい」と語り、同会の会長で女学生時代に工廠に勤務した佐野た香さん(91)は「お互いに高齢になって参加できない人も増えている。体が続く限り交流を深めていきたい」と笑顔を見せた。
(以上引用)
これこそがマトモな国際交流というもの。
70年以上経ても信義を忘れない人達がいる。
台湾同様日本と合邦であった朝鮮半島の徴用工はカネをせびってくるのだから、民族性の違いが際立つ。