ネットでお買い物…藤圭子CD「ゴールデン☆ベスト 艶歌と縁歌」

ネットでお買い物…藤圭子CD「ゴールデン☆ベスト 艶歌と縁歌」
一昨年に沢木耕太郎さんの著作を読んで、あらためて藤圭子という歌手に興味を抱き、Youtubeで視聴するようになった。
動画の中の藤圭子は、オリジナル曲以外にもカバーの演歌から唱歌、浪曲、洋楽のポップスからロックまでと、驚くほど守備範囲は広く、何を歌っても「藤圭子の歌」 になっていた。検索するとCDもそこそこの数が出ている。
今回アマゾンで購入したのは、オリジナル曲集とカバー集の二枚がセットになっているもの。

以下、2017年7月3日の日記を再掲載。
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名著であるため、ご紹介

『流星ひとつ』沢木耕太郎著 新潮社

藤圭子の日本人形のような端正な顔立ちと、それに似合わぬハスキーボイスは強烈な印象で、今中高年を迎える世代にとってはまさに大スタアであった。
本書は、著名なノンフィクション作家の沢木耕太郎氏による昭和の歌姫藤圭子との対談を纏めたもの。
このインタビューがおこなわれたのは1979年暮れのこと。彗星のようなデビューを飾った藤圭子は28歳になっており、前川清との結婚、離婚を経て芸能界引退を唐突に発表、引退コンサートの直前であった。一方の沢木は『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、大きく注目されていたころ。諸般の事情でお蔵入りになっていたこのロングインタビューは、藤の自殺後の 2013年に出版された。
一対一の会話だけで構成されたこの本では、当時の芸能マスコミがまともに報じていたとは言い難い、藤圭子の人となりを垣間見ることが出来る。
両親ともに旅芸人の浪曲師で、父親は理由も無く妻子に手を上げるような粗暴な男、母親は全盲、三人兄妹の末っ子で、絵に描いたような極貧家庭に育つ。長期間両親が興行に出る間は、子供三人で暮らすこともあったようだ。今なら確実に児童相談所が介入するような家庭環境だった。10代になると両親とともに舞台に立たされる。生来頭が良くて学校の成績も良かったが、進学をあきらめて歌手の道に。当時無名だった作詞家の石坂まさをに見いだされ、18歳で本格デビューし、その年のうちにヒット曲を連発する。
沢木との問答では、
「たとえばさ、あたしの歌を、怨みの歌だとか、怨歌だとか、いろいろ言ってたけど、あたしにはまるで関係なかったよ。あたしはただ歌ってただけ」
「そこに、あなたの思い、みたいなものはこもっていなかった?」
「全然、少しも」
といった調子で淡々と語り出す藤。
物心つかないうちから、本人の意思とは無関係に芸能の世界に身を置き、スタアとしての気負いもなく、自分自身のことを突き放したかのように受け答えする。20代にして、ある種の諦観のようなものも身につけているように感じられる。
過剰なスキャンダル報道にさらされ、ジャーナリズムに対しては強烈な不信感もあったにちがいない。
しかし沢木とのウォッカを飲みながらのインタビューでは、酒が進むにつれ少しずつ打ち解け、やがて引退騒動の核心部分にも触れる。
ここまでの大スタアが、引退を決意するに至った理由は意外なものだった。
藤圭子はその後渡米するが、数年後に帰国してカムバックを果たす。一方で再婚して母親となり、その子も宇多田ヒカルとして歌手の道に進む。
しかし徐々に精神を病んで感情のコントロールを無くし、生活は荒れ、最後は自害に至る。
沢木耕太郎は、当時藤への配慮からお蔵入りとしたこのインタビューを、あらためて世に問うことにした。
類まれな才能と、美貌と、驚くほどまっすぐな心を持った藤圭子という女性。
表題通り、煌めく流れ星のように生きた昭和の歌姫の魅力が詰まった名著。
…合掌。