名著であるため、ご紹介
『日本文化試論 ベネディクト「菊と刀」を読む』 福田義也 新曜社
「日本人はアメリカがこれまでに戦った中で、最も気心の知れない敵であった」で始まる文化人類学者、ルース・ベネディクトの著作は、1948年に書かれた日本文化論の古典である。
そもそもベネディクトは、アメリカが第二次大戦に参戦するにあたって招聘した学者の一人で、敵国の文化や人種的特性を研究して助言する立場の人間であったようだ。ただし来日の経験は無く、日系移民への面接調査や、日本文化に関する文献を主なソースとしてこの本を書き上げたとなっている。
この『菊と刀』の邦訳はずいぶん昔に読んだきりで、すっかり記憶が薄れているが、やはり欧米人が日本文化を理解するのは限界があるのではという印象だった。
そしてこのベネディクトの目から見た「日本人なるもの」を日本人向けに解説したのが本書ということになる。
(菊)は、恥の文化や世間の同調圧力によって精神的自由を制限された耽美主義を表し、
(刀)は自己責任と好戦的な側面を表現しているとされる。
筆者はベネディクトの認識の誤りなども指摘しつつ、さらに発展させて広範に日本文化を論じている。
日本人独特の美意識や徳目、例えば(義理)は、英語で表現するのも困難である。欧米人にそういう概念自体が無いからなのだ。
異なる文化圏の日本論によって、あらためて自国の文化や精神性に気付かされることも多い。
「日本人はアメリカがこれまでに戦った中で、最も気心の知れない敵であった」で始まる文化人類学者、ルース・ベネディクトの著作は、1948年に書かれた日本文化論の古典である。
そもそもベネディクトは、アメリカが第二次大戦に参戦するにあたって招聘した学者の一人で、敵国の文化や人種的特性を研究して助言する立場の人間であったようだ。ただし来日の経験は無く、日系移民への面接調査や、日本文化に関する文献を主なソースとしてこの本を書き上げたとなっている。
この『菊と刀』の邦訳はずいぶん昔に読んだきりで、すっかり記憶が薄れているが、やはり欧米人が日本文化を理解するのは限界があるのではという印象だった。
そしてこのベネディクトの目から見た「日本人なるもの」を日本人向けに解説したのが本書ということになる。
(菊)は、恥の文化や世間の同調圧力によって精神的自由を制限された耽美主義を表し、
(刀)は自己責任と好戦的な側面を表現しているとされる。
筆者はベネディクトの認識の誤りなども指摘しつつ、さらに発展させて広範に日本文化を論じている。
日本人独特の美意識や徳目、例えば(義理)は、英語で表現するのも困難である。欧米人にそういう概念自体が無いからなのだ。
異なる文化圏の日本論によって、あらためて自国の文化や精神性に気付かされることも多い。